ErukoBlog -Hatena diary

遠距離を経て、国際結婚、在米(中西部) アメリカ生活のことについての記事。皆さんの役に立てれば嬉しい。

【国際恋愛】遠距離恋愛が始まる2か月間(2019.9~12)に起こったことの備忘録

 

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彼と出会ったのは2018年の10月、まさかその1年後に本格的な遠距離恋愛を彼と始めるとは想像もしていませんでした。この記事では、出会ったそのアメリカ人の彼との1年後に遠距離恋愛をすることにし、帰国までに私が取り組んだことを日記形式の備忘録として公開します。同じような境遇にいる方、なる方、国際恋愛をしている人の言動に興味のある方、お時間がある際にぜひご覧になってください。

 

日本駐在の米軍所属アメリカ人との出会い

 

それまで2019年は私にとって充実しつつも辛く孤独な年でした。私は彼氏が欲しくてたまらなかった時期なので、日々マッチングアプリを使い、約1年を通して最低でも50名とマッチング、10名ほどの外国人男性と実際に会いました。

 

一夏を越えて「今年は無理かなあ」と諦めかけていた時に出会ったのが彼です。

 

1年の交際を経て遠距離に

それから1年後彼が日本での仕事の任期を終えて帰国することは出会った時から分かっていました。そのことがあったため、初めて出会って遊んだ時に「もう1年で帰国するから、誰かと恋愛するつもりはないよ」と言われました。私もその時は了解して終わりました。

 

その後1年の交際期間を経て、彼の帰国時から遠距離恋愛を始めることにした私たちは「アメリカで一緒に暮らす」ことを共通の目標をすると決めました。

 

遠距離を始めるにあたってこれからの「目標」を定めた

私が最初に考え始めたことは「どうやってアメリカに行こうか」ということでした。

 

カナダやオーストラリアと違い、ワーキングホリデー制度が無いアメリカです。何となくアメリ渡航は大変なイメージがあります。

 

ビザの種類も様々にあり、かかる費用もそれぞれ異なります。今から何をして、どんな目的でどんな種類のビザで渡航をするのかを決めるのは自分です。

 

私は、彼と住み将来は結婚することになっても自立した生活をしたい、というのが一番のプライオリティです。

 

就職?

大学?

コミュニティカレッジ

語学学校?

 

ネット上で色々調べました。

 

「今から大学のキャンパスに通いながらの勉強は嫌だなあ」

「費用は極力抑えたいなあ。」

「どこでも勉強できて大学の単位を取れる方法はないかなあ」

 

そこで見つけたのはBYUアイダホのオンラインコースでした。日本でもアメリカの学士号を取れるオンラインコースです。しかし、そのオンラインコースを安く受けるにはモルモン教団体に入会し、週に一度の集まりに顔を出さなければいけないという条件付きです。

 

「宗教団体」というイメージがもあり、そのオンラインコースを受けるのか決められずとりあえず彼に相談することにしました。

 

遅いようで早かった、帰国までの2ヶ月

ここからは私と彼が、日本とアメリカ間の遠距離恋愛が始まる前の2か月間に行ったことの備忘録を書いていきます。

 

私たちが出会った2018年10月には、彼は一年後に帰国すると分かっていましたが交際を続けてきました。ついにその一年後の2019.9月から、彼の帰国に向けての準備が本格的に始まります。どのようなことが起こったのか、段取りや私と彼がしてきたことを書いていきます。

 

916

LINEで「1116日に日本を出るっぽい」との連絡が来たのは彼の出国2ヶ月前でした。

 

大学のことは今日忙しくて聞けなかったので明日聞くよ、と言われました。

 

夜寝る前に、あと2か月しかないと彼の横で呟き、「これから私達の関係、どうしていきたい?」と聞きました。

 

「君をアメリカに連れて帰るために色々調べてるから。また明日話そう、もう今日は疲れたから寝よう」と言ってパタンと寝てしまいました。

 

「やった、私をアメリカに連れて行ってくれる気はあるんだ。でも待てよ、連れて行くってことは結婚前提?私の家族にはいつ会うの?赤ちゃんはどこで産むの?」今考えても答えの出てこない質問ばかりが頭に浮かび、眠れなくなってしまいました。嬉しい睡眠不足です。

 

917

帰宅直後に「大学のこと今日も聞けなかったけど基地内で大学の進路相談をしている人を知っているからその人に聞いてみるね。その大学でちゃんと学士号が取れるかどうか、その大学はよいところなのかとかきちんと知っておかないとね。もしお金だけ払って学士号も取れず、出ていけ!なんて言われたらいやだよね。」とアドバイスしてくれました。

 

彼が私の渡米後の進路に、結構真剣に考えてくれていることに気付きました。

 

918

彼は明日、愛車のジムニーで友人とオフローディングをしに川辺に行くとのことで車の準備に追われています。

 

919

私たち2人が日本で一緒に過ごせる、残された貴重な2か月の間に2週間も海外出張に行かなければいけません。しかし、渡航先が洪水で反乱し、行けるか分からない状態になってしまいました。

 

彼はため息が多く疲れている様子です。

 

この前までフロリダに住む気満々だったのに「フロリダは家が高い」と言い出しました。

 

元気が無かったのは「どこに家を買うか決められない」からでした。または、口には出しませんが経済的な問題もあるでしょう。

 

「プランBとして、実家があるイリノイ州または近くのウィスコンシン州なんてどうだろう?」と言ってきました。

「いや、あなた家族と縁切ったんじゃなかったっけ?」と思いながらもやはり家族を愛しているのだな、と3人兄弟の真ん中ってこういうもんなの?とおかしくなりながらも、「渡米後は彼の家族の近くに住むことになるだろうな」と予想をすることができてひとまず一安心です。

 

920

企画準備で忙しい中、基地内の大学の相談課に行って大学の資料を持ってきてくれました。

あの「メリーランド大学」の入学案内パンフレットです。今思えば、基地内の大学相談課であればメリーランド大学をお勧めされるのは当たり前ですよね。彼が帰国してしまうため、基地内の大学に通うことはできません。(基地内に入るにはエスコートが必要)オンラインコースを見てみることにします。

 

921

2人で宅飲みの日です。

いい感じに酔っぱらったところで彼の帰国後の話を切り出してみました。「1人または友人と住むところが見つからないなら一時的に実家に住めば?」と言ったのです。そうすると彼は酔っ払い顔から急にまじめな顔になって「酔っぱらってる時にこの話はしないよね」と言ったのです。私、ポカーン( ゚д)

「また別の時に話そう」

「シラフの時に話そう」

...そんなこと言われたら酔いが覚めてすでにシラフですが...?

なぜ?一時的にそこにいればいいんじゃない?と提案しただけなのに怒るポイントが分かりません。

 

しかも彼からは彼の帰国後の話の具体的な話をして来ないのです。じゃあ一生この話しないわけ?とイライラしてきました。

 

「もう私からは彼の帰国後の話は振らないようにしよう」

 

「彼の帰国後、ひと段落済んだら私との話が何も進んでいないことに気付いて焦るだろう」

 

「これからのことについて話を振るにも勇気がいるんだから。帰国のことで新しく決まったことがあるなら報告しろよ」とやさぐれてしまいました。

 

「もうこっちからはこれからの話したくない、勝手にすればいい」とイライラモードに入ってしまいました。

 

923

彼のジムニーパーツ探しのため車で30分程のお店に2人で向かいます。ジムニーパーツを購入する際に彼はお店の人と工場からの納品待ちのパーツがあるため納期について話し合っていました。

 

そこで私は彼の帰国日が2日遅くなっていたことに気付きました。「まあ色々あるし変わるよね、と思いましたが「なぜその日を知った時に私にすぐ言わないの?」という疑問も浮かんできました。

 

924

帰宅後、帰国後の彼のスケジュールを聞き出すことができました。

 

帰国間近ということもあり、夜ご飯をきちんとテーブルに座って一緒に食べる、もしくは彼がすでに食べ終わっていても一緒にダイニングテーブルには座り会話をすることが多くなりました。

彼はよく私のTOEFLの勉強の進捗具合を気にしてくれます。土日の午前中はTOEFLの勉強をしているからでしょう。

 

私はその日、彼から紹介されたメリーランド大学の詳細を調べました。

 

以下分かったこと

少なくとも卒業まで1000ドル(100万)ほどは必要

基地内の学校に通う場合、軍関係者以外は入場時にエスコートする人が必要

大学入学にはTOEFLのスコア(最低69)が必要

 

そこで私の調べたことと、私は大学進学も視野にいれていることを彼に伝えました。そのタイミングで彼が帰国後どのように過ごしていくか聞いてみました。

 

そこで彼は現在考えている帰国後の流れを初めて説明してくれました。

軍のベネフィットでコミュニティカレッジに無料で行けるので通い、働くための知識をつけたい

そのコミュニティカレッジが始まるのは2020年の秋

それまでは実家に戻りアルバイト等をして過ごす

 

ここで分かったことは

最短で学校卒業は2021年の秋

彼はあなた32

30

 

じゃああなたが帰国してから私達は次にいつ会えるの?と聞いてみました。

2020年の夏に遊びにおいでよと言われました。

 

帰国後に私達が会う日を、彼がきちんと考えていたことは嬉しいことです。次回会う日が彼の口からスムーズに出てきたということはとてもいいことです。なぜなら、彼が帰国後の私達の関係をきちんと考えていたことが分かったからです。もし、帰国後の私達の関係を考えていなかったら、その候補日の提案は彼の口から出てこなかったことでしょう。私達の関係が一歩前進したと感じた瞬間でした。

 

しかし、嬉しい一方で「半年も会えないのはきついな」とも思いました。以前の遠距離恋愛3か月ももたずに終えてしまった私が、半年も彼を待てるか不安だったのです。

  

9月最後の週末

2人で飲みに行きました。

そこで彼の故郷であるイリノイ州で家を探している話をされました。

実家の近くで家を探し始めているらしいのです。実家のそばなら安心だな、とホッとしました。家の周りに知り合いがいるのであれば、安心です。私も出来ることなら彼の家族の近くに住みたいと思っていました。彼の家族は心が優しいのが分かるので(ママには会ったことないがパパがかなり優しくて夫婦仲が良いので絶対優しい家族でしかないと思っている)

 

そこで知った衝撃の事実

親友とその彼女と彼と私とで住む家を一旦探しているらしいのです。

それは初耳でした。

大きい家に住みたいけどお金はそんなに払えないからシェアするのでしょうか。それとも、安全面から複数でルームシェアをしたほうがいいという考えなのでしょうか。

 

親友は車好きで3台の車を持っているそうです。ちなみに彼は車2つのとバイク1台を持っています。車庫も大きいものが必要だと思うので、維持費かかるのかなあと余計な心配をしてしまいます。

 

しかしよく考えてみればシェアハウスをすることを良い案だと思います。

彼が留守の間に何か困ったことがあれば助けてくれるし、彼の友人が近くにいてくれることはとても安心するからです。

そのカップルがどんな人かにもよりますが、彼の親友ということであればいい人だと思います。

 

ちなみに、一軒家についてはずっとルームシェアをし続けるというよりも、いずれかは私達または親友のカップルが出ていくことを考慮に入れているそうです。売りにだすことも考えているようです。どんな家を買うのか、住むことになるのか今から楽しみです。

 

しかし、あまりにも大きい家を買われても困るので念のため私の条件を伝えました。

1か月の家賃は出せてもマックス8万から10万円(そもそも家賃は払いたくない主義なのでこれでも多いほうです)

あまり大きすぎる家は嫌だ。(管理が大変、犯罪に巻き込まれたり、動物が勝手に住み着いたり、掃除が大変だからです)

大きい家になるとセキュリティ費用がかかり支出も増えます。

 

彼はセキュリティ面では大丈夫だ、と言っています。なぜかというと彼は何種類も銃を持っているです。

いくら彼がどの種類のあの銃を持っているから安心だ、銃の使い方を教えてあげるからと言っても、その銃たちが私に起きた危険を察知して助けに来てくれるわけでは無いからです。よって私は銃には頼りたくありません。

安全な隣人が近くにいるところ(なるべく彼の家族の近くがいい)に住みたいと伝えました。

 

おそらく彼はすぐ忘れてしまうだろうけど、将来私達が住むところについて彼の意見を聞いて、私の意見を伝えることができたのは大きな進歩です。

 

1023

彼の帰国が間近になったことを改めて知ることなった日です。

彼が家具等の整理をし始めました。

ベッド、ソファを基地内で売り買いが出来るサイトで出品し始めました。

 

そして、私は、帰国後に私達が再会することになる際の航空券を取ることにしました。来年2020年の夏に私達は再会することにしました。建国記念日と彼の誕生日月である7月にです。独立記念日のお祭りに行ったり、彼の友人とBBQをしたり湖に遊びに行こう、と誘われました。次の再会まであと半年もありますが、今から楽しみで仕方ないです。

 

1024

航空券を買う上で一番ベストな方法を探し、やっとシカゴまでの航空券を買いました。来年2020年の夏の東京ーシカゴ間の航空券です。

 

航空券を購入後、彼に報告し Hoolay! となりました。

 

1025

ハロウィン間近です。彼の仕事の関係でハロウィンイベントの準備があり週末に仕事があったり帰宅が遅かったりであまり一緒に過ごせません。この日はハロウィン前の週末初め金曜日。彼は職場のアフターパーティーに行きお酒を飲むため帰宅しないとのことで、金曜の夜を1人で過ごしました。寂しいけどハローウィンのイベントの設営等は彼の立派な仕事なので受け入れるしかいません。

 

1026

来週末は日本のこの家で2人で過ごす最後の週末になる予定です。彼は今週のハロウィンイベントによる疲れと、家の中の片付けで忙しく少し不機嫌です。

 

家の中の大きな家具もどんどん譲り先が決まり、ソファが解体されたりと、私達が一年一緒に過ごしてきた部屋の家具が減っていくにつれ、何とも言えない悲しい気持ちになりました。

 

1030

やっと、帰国日が明確になりました。当初の帰国予定より5日後ろに伸びていました。プラス5日一緒にいれることは嬉しいです。一緒に過ごせる週末が一つ増えたのですから。

 

しかし、彼のフライトは平日なので有給を取らない限りお見送りには行けません。むしろフライトは通常の便では無く、基地から出るフライトのため私がお見送りできるかは不明です。

 

1031日(ハロウィン♪)

彼は基地内のハロウィンイベントで帰りが遅く、私は週一の英語のオンラインレッスンがあったので彼家にて1人でお留守番しました。

 

その日の英語のレッスンでは体調不良、英語スピーキング不良で先生にも「今日不調だね〜笑」と言われる始末です。

 

彼の帰りも遅く、少し疲れていたこともあ「私はなんでこんなに英語勉強してるのに簡単なことも言えないんだ。頭に損傷でもあるわけ?」とネガティブ思考に陥りました。

 

彼が帰ってきて安心したのと、「英語のレッスンどうだった?」と心配してくれて元気のない私を見ると「元気を出して」と慰めて私の手を使って自分の顔をパンチしたり笑わせたりしようと頑張ってくれて、涙が出てきてしまいました。

 

今年のハロウィンはなぜか楽しめなかったけど、今年は彼が横にいるので万事オッケイです。

 

111

彼が家を片付けてきており、今週末は彼の家で一緒に過ごせる最後の週末です。私は、彼がいなくなっても実家には帰りたいない、という思いから近くに家を借り1人暮らしをすることに決めていました。いきなりではありますが、金曜に午後休をもらい不動産屋さんに行って物件を見にいくことにしました。たまたまその日は彼も引越しの関係で仕事が休みでした。その不動産屋さんは彼の今の家から近い最寄りの駅にあるのでその最寄り駅でお昼を食べ、物件を一緒に見に行きました。彼にも私の新居を見てもらいたかったし、引越しを手伝ってもらうので場所も覚えてもらいたかったのです。

 

2万円台のものと3万円代のものを見比べました。家賃には極力お金をかけたくなかったのです。しかし、2万円代の部屋はかなりボロボロ。ベランダは大きいですが隣人のベランダが丸見えでプライバシーがありませんでした。

 

決めかねていると、不動産屋さんの担当者さんが私におすすめの物件を紹介してくれました。33000円ではありますが、こじんまりしている割に収納が豊富で、小綺麗でしたのでそこに決定しました。彼も2万円台の部屋よりも3間円代のほうが綺麗だし安全そうだから良いと言ってくれたのでそこを選びました。

 

絶対2万台円の部屋を借りる!と思っていた私が3万円台のもので妥協したかと理由は2つ。まずは彼と過ごした地域なので(最寄りよりも近い場所)何処に何があるか知っていること。次に、新居から彼の家の場所が見えることです。(彼家は丘の上にある)

 

そこに住めば、今までと同じような風景の中で生活できるので安心するなあと思ってそこに決めました。

 

夜は最寄り駅と私の新居から近いバーに彼と行きました。彼はショット4杯、ビール4杯ほどを飲みヘロヘロになりました。しかし、私の新居はそこから歩いて3分ほどです。彼と、こんな近くにあるバーで飲んですぐ家に帰って寝るという貴重な体験ができて嬉しかったです。

 

112

飲みすぎてヘロヘロな彼は昼頃まで寝ていました。今日はリサイクルショップ屋さんに連れていってもらい冷蔵庫や洗濯機を選ぶ予定です。

 

113

彼の帰国に伴い、仲の良かったアメリカ人とキューバ人のご夫婦が夜ご飯をご馳走してくれるとのことで家に招待されました。

 

キューバ人の旦那さんがナイフで手を負傷し総合病院にいくという緊急事態も起きましたがなんとか夜ご飯を食べながら談話をして楽しく過ごすことができました。

 

114

アメリカに移住する準備をするにあたって、まずはどのような選択肢があるのかを調べていくうちに「グリーンカード」の抽選に応募をする、という選択肢も考慮するようになりました。グリーンカード申請用の写真が必要です。締切までギリギリですがチャレンジはしよう!と思い始めました。

 

新居への引っ越しに伴い、メルカリで売ろうと思っていた私のシングルベッドを彼の家から私の新居に運んでもらいました。ベッドを解体し、彼の家の二階から各パーツを自力で降ろし、車へ運び、私の新居(三階)へ運びました。これで何とか眠りにつくことは出来るようになりました。

 

また、その後はジモティで譲り受けた勉強机を彼の車で運んでもらいました。仕事後でしたが、彼は車を往復で40分ほど走らせてくれて私の新居に机を運び入れてくれました。これで寝ること、食べること、勉強することは出来るようになったので引っ越しの8割は終わったことになります。

 

116

1日有給取って免許センター、実家の近くの区役所、ジモティーで譲ってもらったものを取りに行きました。かなりのハードスケジュールです。その後、ガスの開栓に立ちあうことになっていましたが30分程遅刻してしまいました。しかし、彼も引っ越しに伴い仕事を休んでいたので私の代わりにガスの開栓に立ち会うようお願いし(幸い、私の部屋の鍵は彼が持っていたので)手続きも彼がほぼ行ってくれました。彼には頭があがりません。その後、区役所にいって住民票をうつし、印鑑証明も登録しました。区役所までも彼が車で連れて行ってくれたので本当に助かりました。 慣れないことばかりで、2人ともへとへとに疲れていました。

 

今日は日本の彼の家で過ごす最後の日です。

冷蔵庫が明日撤去されてしまうため、冷蔵・冷凍物は全部私の新居の冷蔵庫に移動させたため、食べるものがありません。ドラッグストアのコンビニ弁当で夜ご飯を済ませました。お風呂に入るのも、ここで彼と一緒に寝るのも今日で最後なのだと思うと寂しくなりました。しかし、彼が色々と日にちを調整してくれてギリギリまで私と一緒に過ごすために考えてくれていたから今日まで一緒に寝食を共に出来ていたので嬉しい気持ちもありました。

 

 

117

なんと、昨日が彼と寝食を共にできる最後の日だと思っていましたが、本日も彼の家で過ごすことが出来ました。

しかし、部屋の中の家具は全て撤去され何も無い中ありあわせの物で寝るところを作り、ストーブもなく寒い家の中で寝袋と簡易マットのようなもの(黄色いスポンジのような敷物)をベッドとして寝ることにしました。2人でぎりぎりまで一緒に過ごしたい、という二人の想いが重なるとこんなところでも寝ることが出来るものなのだなあ、と感じました。

 

ストーブもなく寒かったですが、彼といると安心します。思い出に残る夜になりました。

 

118

今日からは本当にひとりの生活になります。新居でひとりで寝る最初の日です。寂しいです。新居の部屋の中は物が散乱してどこに何を片づけるかを考えるのも面倒くさく、生活できる最低限のスペースを作り、なんとかひとりでお風呂に入り、ベッドに入りました。彼は職場のお別れ会で一緒に過ごせなかったため、ひとりで部屋の中の整理をした後、疲れすぎてはやくベッドに入り、熟睡しました。

 

119

週末は彼が私の一人暮らしの部屋(1K)に遊びに来てくれることになりました。

シングルベッドに2人で寝るのは不可能と思っていましたが、ギリギリ寝ることに成功しました。

 

1110

明日も彼はお休みのため、日曜日の夜にもかかわらず私の家に泊ることになりました。嬉しい。

 

1111

私は仕事で朝早く家を出ましたが、彼はお休みなので彼を残して仕事に向かいました。鍵は彼が持っていたので、帰宅時は駅までお迎えに来てもらいカギをもらい、私は自分の部屋に、彼は基地内の寮に戻りました。彼が国内にいるにも関わらず二人別々で過ごさなければいけないのは悲しかったです。

 

1112日ー1115

お互い寝食を別々にして過ごしました。

夜彼がmessengerで電話をして来てくれたことが1回あり嬉しかったです。日本で二人で過ごす週末は私がずっと2人で行きたがっていたディズニーシーに行くことにしました。彼は東京に遊びにいきたい、ロボットレストランにいきたい、と言っていたのですが私はそのようなうるさいところやお金が高くつくところがあまり好きではなかったのでオブラートに伝えてみました。そうしたら、「ディズニーワールド(ディズニーリゾートのこと)と提案してくれたため、メルカリでスポンサーチケット(入園制限時も絶対入れるチケット)を購入し、仕事後に出品者の方から直接受け取りました。明日のチケット、しかもミッキーの誕生日直前の週末、クリスマスイベント真っ歳中というネガティブな状況が揃ってしまいましたが、火事場のバカぢから(?)でチケットをゲットすることが出来ました。

 

11月17日

彼と日本で会える最後の日です。昨日はディズニーシーで丸一日遊んでいた為かなり疲れていた私達は、私の1Kの狭い部屋でお昼くらいまでダラダラしていました。

 

日本で彼と一緒に過ごす最後の日なので、夜ご飯は外食をすることにしました。私達のお気に入りの「牛角」で食べ放題を予約し、夜19時頃から食べ始めました。

お酒も入り気持ちよくなっていた私は、彼にお別れのプレゼントを渡しました。(サプライズって渡す時にワクワクして本当に好き。)私達の一年の思い出が詰まったフォトアルバムです。フォトアルバムの最初のページは、私達が一番最初に出会った時に食べた、抹茶味のアイスクリーム(笑)。彼は日本特有の苦味が得意では無いのですが、その時は私と初対面だったこともあり、ほうじ茶アリスクリームを一緒に食べてくれていました。もちろん、彼もそのアイスクリームを覚えていたので「最初に会った時に食べたアイスクリームだね」とコメントしてくれました。そのフォトアルバムのページをワクワクした顔をしてめくる彼を見て、私の方がなぜか涙してしまいました。これから最低でも1年は一緒に暮らせませんし、半年は会うことが出来ません。そんなこんなで、私達の最後の晩餐@日本は終わりました。(私だけ泣いて終わり。笑)

 

一番辛いのは帰り道です。彼とは駅の方向が違うので駅で最後のお別れをしなければいけませんでした。その時もやはり私が泣いてしまいました。

涙が止まらず、駅の隅っこの方に寄り、私が泣き止むまで彼が慰めてくれました。今まで涙を流さず、ポジティブに引っ越し作業等を進めて、彼の帰国に備えてきましたが最後くらいは自分の感情を表に出してもいいかな、と思うと本当に涙が止まりませんでした。

 

彼は「また半年後に会えるから大丈夫だよ、何もかも上手くいくから。悲しいことなんて無いよ。メッセンジャーでテキストし合えるし、テレビ電話もしよう。テレビ電話だったら一緒に映画も観れるよ」と必死に慰めてくれました。

何とかして泣き止むことが出来、そこでお別れをしました。

 

彼の帰国その後

私は毎日英語の勉強に取り組んでいます。時差のある遠距離恋愛では、時間のけじめをつけることが出来るため、その機会を十分に生かそうと思っています。彼が寝ている時は、英語学習を思いっきりする。彼が起きている時は彼のための時間を作り電話をする、電話をする時用に面白い話題、彼に伝えたい近況等をメモに書き留めておく、等をしています。

彼と一緒に日本で過ごしている時よりも忙しいような感じがしています。週末も英語学習に力を入れているため、一日がアッという間に過ぎてしまいます。

 

彼とはテレビ電話を3~4回/週にするようにして、近況を報告しあったり冗談を言い合ったり、将来を見据えて一緒に前進するために日々を過ごしています。

 

この関係は私にとってベストな関係性です。なぜかというと、「将来アメリカで一緒に住む」ことが二人の共通の目標であり、それに向かってお互いがやるべくことがあるからです。やるべきことがあれば、それにどのように取り組むかを考えるため、お互い意見を出し合い助言をしあう機会が増えます。その過程でお互いのことがもっと分かりますし、毎日が忙しくなるため、自分の人生がもっと充実したものになったと実感しています。

 

次回彼と会うのは、2020年の夏です。それまでに私が取り組んだこと、成し遂げたこと等をブログに残していくつもりです。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました。